障害のある子どもをもつということは、わたしにとって〇〇なのです

ban1 天職実現マスターマインドコーチ育成講座



ホリスティック・パフォーマンス☆催眠コーチ
発達障害・催眠コーチ
ソウルプランリーダーの みつこです(*^_^*)

ブログを読んでいただき
ありがとうございます!

催眠コーチングのセッションで
クライアントさんとお話をする中で
とっても嬉しいなと思う 瞬間が あります。

それは、
クライアントさんが
自分のコアな部分
核心の部分を、

信頼して、自らの手で
玉ねぎの皮を剥いていくように
シェアして くださるとき。

そして、ご自身の深い部分の
いままで 光を当てなかった
部分に 向き合うことで、

輝きのような 気づきが生まれ
クライアントさん自身の中で
「過去」「現在」「未来」
いまここが 「統合」されていくときです。

昨日も Tさんと
お話していて
思い出したことがありました。

そうだ、そういうときが 
わたしも あったと

自分が たどってきた 道のりを
思い返しました。

障害のある子どもを もつということ

発達障害なんて 障害じゃない
個性のひとつだ

広い意味で とらえて
突き詰めていけば
あるいは そうなのかもしれません。

でも、本人の生きづらさや
家族の困り感

それは ときに
二次障害から 鬱を発して
「死」をも 考えるひとも 少なくない中で

単に「個性」と 
簡単に 言い切って
いいものではないような気がします。

たとえば 
まだ小さな 我が子が 

突然 具合いが 悪くなった
やれ 熱を出した、

はては なにかの 
手術をしなくてはならなくなった
と 言われただけでも

たいていの母親は
ガクーン と 一時的に
慌てふためいたり 動揺したリ
思考する能力 IQも 下がるのですから

ましてや
自分の 子どもが

障害がある

なんて 医師から宣告
診断が下された日なんて

どれだけ 心臓がバクバクして

人知れず 陰では
たくさん 泣いてきたことでしょう。

そして だからこそ
わかったような わからないような
抽象的な ふわふわした 自己啓発や
スピリチュアル論から 
発達障害に対しても 向き合うだけではなく

地に足がついた方法、
体系的な 知識や方法で

現実を鑑みながら
「体・心・たましい」全部をあわせた方法
ホリスティックな 包括した方法で

本人も 親や応援する側も
自分を 統合していくことが大事だなと
感じます。

そんな 中でも
発達障害のある子どもたちを
育てていくのは

決して ひとりでは できないことです。
多くの方からの サポートをいただいている
自分を 本当に ありがたいことだなあと
感謝しています。

でも そうした 人間関係さえも、
関係性が 近ければ 近いほど
いろんなチャレンジを 含んでいます。

わたしの場合、
今も 強く 覚えていることがあります。

娘を産んだ時のこと
実母の コメントですね。

娘は 低位鎖肛(直腸肛門奇形)と、 
肺動脈弁狭窄症(心臓病)を もって 
生まれたのです。

★幼い日のレナちんへ「鎖肛ってなに?」 

鎖肛とは
生まれつきの直腸や肛門の形成異常(直腸肛門奇形)で、

出生した赤ちゃんの5千人に1人くらいの割合で発生し、
消化管の 先天的異常の中で 最も多い病気です。

肛門が 生まれつき 
うまく作られなかった病気で、
おしりに肛門が開いていないものから、
小さな穴(瘻孔)がみられるものや、
肛門の位置がずれているものまでさまざま。

当たり前ですが
生まれたばかりの赤ちゃん、
もし うんちも おしっこも できなかったら
死んで しまうのです。

娘の 生後3週間目での 手術入院中に
わたし自身も 胎盤の癒着がひどくて
感染症、敗血症に なりかかり
同時期に 手術をしたのですが、

そのころ 実母は わたしに
こんなコメントを発しました。

別に 悪気はなかったのでしょう。

そして いまでも 母とは 仲は良く
ふだんは 愛すべき 母なのですが、

あれは 母の一番の失言だったんではないかと 思います。

母は こう 言いました。

「みつこが こう 考えなきゃいいな、と思って。。。」

「みつこが こう考えて 絶望して
 死んでしまわなければ いいなと思って。。。」

なに?

と 聞くと

わたしの前の夫 フレデリックも
アメリカで 直腸ガンで 長いこと 苦しんで 
44歳の若さで 亡くなったのに

帰国して 再婚して 生まれた子どもにも
同じような 場所も場所、

鎖肛という 障害があった――

だから みつこは ショックを受けて 絶望して
死んでしまわなきゃ いいと 思ったと。

たぶん わたしは そのときは
なんてない 顔をして
母の 言葉を 病室のベッドの上で
聞いていたと思います。

★太陽はいつもそこに輝いているのに

★君に捧ぐ

★帰ってきたミボウジン

でも、少し時間がたってから
母には ビシッと 言い渡しました。

あれは 一番 言ってほしくない言葉だったと。


「みつこが こう 考えなきゃいいな、と思って。。。」

別に そんなこと ゼンゼン 思ってないんだから
大きな お世話。

それを あえて わたしに 伝えることで

いま いちばん 子どものために がんばる必要がある
自分の娘を 奈落の底に 突き落とすみたいな 
コメントして

どーするの???と。

 
「みつこが こう考えて 絶望して
 死んでしまわなければ いいなと思って。。。」

へー わたしは こーゆー 状況になったら
絶望して 死ななくちゃ いけないのですか、、、

と 我が親でありながら
言っていいことと 悪いことがあるだろう と

強い 憤りを 覚えたのです。

関係性が 近ければ 近いほど

いろんな サポートもして もらえるし
ここまで 自分を 育ててくれたことも含めて

ふだんは いつもは 本当に 
ありがたく 感謝しているけれど

でも、心配性の 母の言葉は
ときに 呪いの言葉にも なりうる

そう 強く 感じた出来事でした。

わたしは、20代前半ぐらいまで
母の言うことは 絶対 正しいと すべて信じていました。

わたしは 思春期 ほとんど 反抗期らしいものがなく
父が早く亡くなるなど、
そうした家庭環境にあることも理由の1つでしたが

従順で 超優等生(いつもオール5、万年 学級委員長みたいな)
で 自分の想い、考えは何かを
把握する前に、

これをしたら 母は喜ぶかな、
養父の機嫌はよくなるかな?
家は 丸く収まるかな、みたいに

つねに アタマの中で考えている
若年寄り みたいな子どもでした。

母とは仲もよかったし(今もですが)
母も私を頼りにしていろいろ相談してきたり、
人間としても 職業人としても 尊敬できる母でした。

ただ ある時期から
親は親、わたしはわたし、と
分離して 考えるようになりました。

(やっていることは 同じでも
 自分の中の 意識が 大きく変わったということです)

摂食障害におちいって
深く 自分を見つめ直したことも
ひとつの 大きなきっかけでした。

いまは、親が自分を
頼りにしていることはわかっていても

家が 絡むことでも、
できることは できる、と言い、
できないことは できない、と言う。

自分が違うと思うことは
あくまで 強く反論する。

別に隠すとか そういうわけじゃなくて
自分の中では 大切だけれど
母に話してないことも たくさんあります。

また 障害児をもつ家族では
どこでも 同じような 悩みというか
チャレンジがあると思うのですが

わたしは 以前

わたしは 早く死ねない
できる限り 長生きしないと いけない

子どもたちは 二人とも 障害がある

わたしは 最後まで できる限り 長生きして
この子たちの 行く末を 見届けなくてはいけない
自立させなくては いけない

そう 思っていたのですね。

そして 
義実家や 実家の
の お家を 継続させる 義務みたいなものが
自分には ある、

みたいなことも 意識の片隅にありました。

いまは 表立って、大きな反発、反抗、あえて
なにか 大きな行動には出ませんが

でも 親として 思うこと

それは たとえば 下の息子が 
障がい度も重く 知的障害もあり 大変だから
上の娘に 

「れな 悪いけれど 弟りょうたのこと 頼むよ、
 家のこと 頼むよ」

とは 言わないのです。

もちろん 娘にも アスペルガーがあると、わかった時点で
さらに そうした 想いは もうゼンゼンなくなりましたが。

それは 親のエゴじゃないかな、と思うからです。

そして 生きている人間があっての
家(いえ)、お家の存続問題 
うんぬん だと 思うからです。

自分が生きているあいだに、
福祉とのつながり、道をきちんとつけておく
というのは もちろん 親として やります。

でも、できる限りのことをやったら
それで いいんじゃないでしょうか。

そして 究極的には なんとかなる、

わたしは 生きているあいだに
人間として できる限りのことを する

でも あとは 野となれ 山となれ――

そんなふうに わたしは 腹をくくっています。

わたしは これまで
障害についても できる範囲ではありますが
たくさん勉強もしたし

周囲を 自分の味方、応援団になってもらえるよう 
引き付けてきたように思うんです。

そして いまでも わたしは

「実家の両親」「義両親」は
障害のある 孫がいると かわいそうだとか、

夫も長男 わたしも長女だけれど
ゆくゆくは 家を、お墓を 守っていく人がいない、
申し訳ない と 今は 思ってないのです。

ふつうの おじいちゃん&おばあちゃんの
幸せを「あげられなくて」
ごめんね、とも 思っていないのです。

それは できる限り 

「実家の両親」「義両親」はもちろんのこと、

さらに わたしの妹夫婦、夫の弟夫婦には
ここぞ、というとき わたしが 自ら出向いて

きちっと 子どもたちのことについては
ほう・れん・そう をして

(夫も アスペがあるので そうした仲介役は
 すべて わたし 担当です)

不要な 内部からの 
過干渉、心配、おせっかい、
あることないことを 言われるようなことを 排除し

子どもたちを 育てるなかで、
発達障害、アスペルガー、自閉症が どんなものなのか
包み 隠さず 話してきたし、

近づきすぎず 遠すぎず
着かず離れずの ほどよく お互いが自立した関係を保ち

自分の応援団側に ついてもらうよう努力してきた
からかもしれません。

実両親や 義両親の中には
いまでも 悲しみは あるかもしれませんが、

でも つねに 理解しようとしてくれて
見守ってくれていることは 
ほんとうにありがたいことだと
感謝しています。

わたしは 思うんです。

親には親の人生があり

子どもには 子供の人生がある

さらに 孫は 別に おじいちゃん、おばあちゃんを
喜ばせるために 生まれてきたわけではなく

(結果的に おじいちゃん&おばあちゃんは 孫をみたら喜ぶけれど)

究極的には 親のためでも 祖父母のためでなく

自分の人生を生きるために 生まれてきたんです。

それは 障害をもっている もっていないに 関係なく。
彼らには 彼らの たましいの尊厳が あるんだと。

わたしも 息子が保育園のとき(小1から支援級)
娘が 小5まで 通常級だったとき、

同世代の子たちをみると、
比較する、される対象があるとき
自分が 揺れるときが ありました。

そして 障害というものに対して
偏見を もっている人は やはり いる。

世のなかには、いろんな人がいる。
そして それは しょうがない。

でも、自分がフォーカスするところを 
決めることはできる。

自分を理解してくれる人、
応援してくれる人で 自分を囲むことが 大事だなと。

そして なによりも 自分自身が 
障害と 呼ばれるものを 受け容れること。

わたしにとっては 子どもたちが 障害と呼ばれるもの
発達障害 自閉症 アスペルガー 知的障害…… 
鎖肛、心臓病とか

そうしたものを もっているのが フツウというか
受け容れてしまったいま、常態なんです。

対処しなくてはいけないことは たくさんありますが。

でも 困っているわけじゃないんです。

そして 人にお願いできることは
お願いをする。自分ひとりで 背負い込まない。
福祉の手も どんどん借りる。

わたしも 日中一時支援、移動支援、療育
小学校に上がってからは、放課後等デイサポート
どんどん 活用しています。

自分を大切にする時間をとるようにする、
というのも
もちろんですが、

そこで いろんなお母さんたち
同じ チャレンジを抱えながら
がんばっている方たちを 知る、つながれるようになる
というのも すごく重要です。

そして わたしの中の
インナーチャイルド、小さいみっちゃんとも 
つねに対話し
ひらめきや 想いを 気づきノートに 
なんでも 書き出すこと

自分を そして 子どもたちを 
理解してくれる、応援してくれる人たちで
自分を囲むこと

似たような立場で がんばっている人たちと
つながっていること

さらに ためない、信頼できる人に
「話すこと」「想いを外に出すこと」

さらには こうして 自分を「表現すること」を

大切にしています。

そして こうした チャレンジを 
乗り越える究極の方法は

問題を 自分個人のものに するのではなく、

それを さらに 大きな絵から見て
社会に還元する 具体的な方法を見つけること、

自分も輝きながら
自分を人のために 役立てる方法を見つけること、

自分を 統合する方法を 見いだすことだと
強く 感じます。

わたしの ソウルプランでは

ソウルディスティニー
究極の たましいが 生まれる前に 決めてきた
目的 計画、求める 突き進みたい方向性は

(8-8)という 数字があるんです。

その意味は

生まれ持った スピリチュアルな才能、
目には見えないけれど 大切なことを

社会において 奉仕のためにつかうこと

世俗に 自分がもっているものを 
地に足をつけたカタチで 社会に還元していく
ことです。

そこに「障がい」と呼ばれる 
キーワードがあるんじゃないかなと感じます。

自分の中で そうした
人生のチャレンジが 統合されたとき

障害と呼ばれるものは
もはや わたしの中では 
障害では なくなったのかもしれません。

どんなときも
他人のために自分の人生を生きる必要はない

根本に 自分という軸があるから
地に足の着いた 奉仕ができる

人のために 自分を役立てることができる

「スピリチュアル」、
と 日本語でいうと うさん臭くなるので
わたしは キライなんですが(苦笑)

それは イコール

「目に見えないけど 大切なこと」という言葉に
置き換えられるかもしれません。

コンフォートゾーン
(自分が慣れ親しんできた考え、習慣)にあること

それは 究極的には 自分の心を守るためのものなので
必要だったらいいんです。

あなたも やりたくなかったら
無理して 心のかさぶたを 引っ張りはがすようなことは
しなくて いいんです。

でも それを 1mmでも いいから超える

そのコンフォートゾーンから 毎日出る
スモールステップでいいから

そこに 人としての 
進化&成長があるような気がします。

そして 人は それぞれのタイミングで
(今生では ないかもしれませんが)

やるから 大丈夫なんです。

無理やり 嫌なことを する必要もなく
今ある何かを ハンマーで 
ドカーンと 全部叩き壊す必要もなく

ただ 自分で 自分の在り方を 認識すること

そして どんなときも 目指す方向だけを見つめ
スモールステップで コツコツ 前進を 続けていく

「継続していく」ことこそが 「変容」の大きなカギだと 感じます。

……と、長くなりました。

そんなことを
今日は 強く感じたので
あなたに シェアさせていただきました(*^_^*)

また 書きますね☆彡

みつこ

ホリスティックパフォーマンス催眠コーチ
発達障害・催眠コーチ
ソウルプラン・リーダー   

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