このブログを ご訪問くださって
ありがとうございます。
催眠コーチング を通して
本当の自分の
『魂の輝き』を想い出し
最高の自分を 「いまここで」
自由に のびのびと生きる
今いる場所で 自分を最大限に 輝かせながら
自分のステージを 上げていき
つぎつぎ 夢を叶えていく
そんな「コーチングマインド」と
「和の心」を あなたに つなぐ
催眠コーチ みつこです(*^_^*)
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今日は 仲良くさせていただいて
サトリさんのDestiny Meetingでも ご一緒させていただいた
お友達の奈美子さんが
運営される コミュニティ「Up to You」の
スカイプお茶会に 参加させていただきました♪
奈美さんのブログはこちらから
→ ★スカイプお茶会開催しました♪
奈美さんや 参加されたメンバーのみなさんと
お話しする中で
自分が いま学んでいること
気づきを 思いつくままに
シェアしていて
ふっと 気づきました。
今 自分にとっては
あたりまえになりつつある、
コンフォートゾーンに入っていることでも
ああ、半年前には
そんなこと できるなんて
思いもよらなかった、
今の 自分が 在るなんて
本当に 想像も しなかったな
と あらためて 気づいたんです。
そっかー まだ あれから
たった 4カ月しか たってないんだなあと
自分の進化&拡大の旅、
変容が 始まった
今年の2月立春のころを
なつかしく 思い返しました。
わたしの場合、
なにか お知らせがあるとき、
それは ぞろ目のナンバー(最近は 444, 8888)や
妙に心に残る 気になる キーワード、
動植物、羽、雲、夢、
さまざまな形で
メッセージは やってきます。
今年 2月3日のことです。
節分、立春に こんなメッセージがありました。
朝、掃除をしようと思って
自宅の中央にある リビングの壁際に
掃除機の コンセントを 差し込もうとしたんです。
と 見ると
その 白い壁の
コンセントの真横に
1匹の チョウチョが
止まっていました。
蛾では ありません。
少し 黄色味がかかった白い羽に
1つ黒点がある
可憐なモンシロチョウです。
え????
外は まだまだ寒い
2月の厳寒のころです。
なんで チョウチョが
こんな 部屋のど真ん中の壁際、
コンセントの真横に 止まってるの?
と じっと 目をやりましたが
まったく動きません。。。。
壁についたまま
死んでいるんだろうか???
大人になってからは
素手で 昆虫をもつことが
こわくなった わたしは
そのままに しておきました。
そして その晩は 夫の帰りが遅く
話すことも できず
ほったらかしになっていたのですが
次の日 また目をやると
まだ そのまま チョウチョは
昨日と同じ姿で
まったく動かない状態で
白い壁に 止まっています。
その斜め下近くにあるコンセントに
今日も 掃除機のプラグを差し込んで
朝の掃除をしようとした わたしの手が
ちょうど 近くに立てかけてあった
棒に あたって
チョウチョの 近くの壁に
激突しました。
すると 死んだまま
壁にそのまま くっついているんだろうかと
微動だにもしなかった
チョウチョが
驚いたように
ひょこひょこひょこ
と 壁を 5cmぐらい
上ったではありませんか。
あ! 生きている!
そう 知った わたしは
生きている チョウチョを
そのままにしておくのも
忍びないので
勇気を出して
そおっと 羽をつまんで
ベランダに出て
パキラの植木鉢の枝に
とまらせて あげました。
昨日も1日 まったく動かなかったわけだから
きっと お腹がすいているのかも
弱っているのかもしれない
と思い
このままでは 本当に死んでしまうかも
と思って、キッチンへ行き
何を思ったか
特上のマヌカハニーを
すこーし ぬるま湯で
溶いたものをものをつくり
もう一度 ベランダに 戻りました。
そして チョウチョが 止まっている
少し 横の パキラの幹に
むかーし 子どものころ カブトムシを
林に取りに行ったときのように
樹液のように 塗ってあげました。
すると
チョウチョが すこーし
体を傾けて
そのハチミツを なめているような
姿に わたしには 見えました。
もし このまま 弱って死んじゃったら
植木鉢の中に 翌朝
落ちてたら 悲しいなあ と思いつつ
そっとしておいて
わたしは また 部屋に戻り
仕事をしはじめました。
そして 少したって
ふっと 思いだし
また ベランダに出てみました。
すると チョウチョの姿は
もう どこにもなく
3階のベランダから
今一度 力を取り戻し
広い世界に 飛び立って
いったことがわかりました。
チョウチョは
キリスト教では、「復活」を意味し、
仏教でも、
あの世とこの世を行きかう力が あるとされ、
新しい自分になる、
美しく 強く 変化するという
意味があるのだとか。
インディアンの言い伝えでは、
蝶は変化と喜びの象徴。
ギリシャでは蝶は魂や不死の象徴。
日本では、不死・不滅を具現する
シンボルとして 武士に好まれたのだとか。
スピリチュアル的には
変容、成長、転生
もしくは、先祖などの魂を意味するようです。
わたしは この4カ月を振り返って
このときの チョウチョが
やっぱり 自分の「変容」を意味する
メッセージだったんだと
いま 強く 感じます。
最後に
10年ぐらい前に
いろんな本を たくさん読ませていただき
学ばせていただいた 神田昌典さんの
「あなたの悩みが世界を救う!」
という本の中から
「変容」を意味する蝶について
素敵なお話を
あなたに シェアさせてください☆彡
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あなたに、お話を一つしよう。
ある日のこと、イモ虫が悩んでいた。
「ボクはあの宝石のように空を飛び回る、
美しい蝶のように生まれたかったのに……
なぜこんな小さな枝の上で、いつも
揺さぶられていなければならないんだろう?」
友だちのイモ虫が答えた。
「何言ってるんだ。
オレたちは羽がないんだから、
しかたがないじゃないか?それに――」
友だちは離れた枝に触角を向けた。
「蝶になろうとするヤツは、みんな、
あんな姿になっちゃうんだぞ」
恐ろしい姿だった。茶色に変色していて、
まるでミイラ。友だちがしたり顔で続けた。
「あれが蝶になろうとしたヤツの末路さ。
あんな醜い姿になって、苦しみながら、
死んでしまうんだ」
イモ虫はくやしそうにうなずいた。
「わかった、もう夢を見るのはやめることにするよ」
「そうだ、それがいい。ときどき襲ってくる
害虫を避けてさえいれば、目の前にある葉だけは、
なんとか食べられる。それが賢い生き方だ」
私たち人間も、イモ虫と同じようなもの。
生きている限り、サナギになるときが訪れる。
死んだようになりながらも、
細胞は蝶になる準備を整え始める。
サナギの時期は、人間の場合、
苦悩、困難、障害という形を取る。
この変化を押しとどめようとすれば、
サナギの時期はとても辛いものになる。
蝶になることがわからないので、
なんで自分だけがこんなに不幸なんだ、と恨みたくなる。
だけど、恨めば恨むほど、
身体と意識が整わず、
蝶になることから遠ざかってしまう。
多くの人が、困難、障害にいたずらに
思い悩んでしまうのは、
自分が蝶になる存在であることに
気付いていないからなのではないかな?
今度、悩みが生じてきたら、
自分はサナギだと考えてみよう。
「もうすぐ蝶になるのだったら、
自分はどんな蝶になるのだろう?」
という問いに、答えてみるんだ。
蝶になんてなれないと思うかもしれないけど、
蝶になってしまえば、
イモ虫であったことすら忘れてしまうものだ。
蝶とイモ虫の違いがなんだか、わかるかな?
イモ虫は自分で葉を食べるだけだけど、
蝶は蜜を吸い、そして花粉を運ぶ。
遠くに花粉を運んでいって、
そして新たな場所で実を結び、
新しい芽生えをもたらす。
蝶は仲介者となって、
まわりに豊かさをもたらす。
だからこそ、ぼくはあなたに
蝶になれる存在なんだということに、
早く気付いてもらいたいんだ。
わたしも いま 変容の時を迎え
蝶のように羽を広げ
大空へ舞い上がっていきます……☆
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これからも
あなたが
本当の自分の
『魂の輝き』を想い出す
催眠コーチとして、
わたしが 身をもって 体感した
感動や 気づき 学びを
お伝えさせていただきますね☆
みつこ
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:.
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みつこ
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