あなたは「有限な」限りある今このときを大切にして、最高の自分を生きていますか?

ban1 天職実現マスターマインドコーチ育成講座


こんにちは!
鈴木みつこです。

あなたは時間って
無限にある

「今の状態が
 このまま 永遠に続く。。。」

ような感覚に なっていることって
ありませんか?

いい意味でも
悪い意味でもです。

それが ずーっと この先
30年、50年、
100年続くような……。

安心?

あるいは

嫌悪?

100年後 もちろん
生きている人も
いるかもしれないし

そのときには
寿命は グーンと 
伸びているかもしれません。

でもね、

時間って 有限なんですよ。
限りあるものなんですよ。

限りある時間の中で 

わたしたちは
限りある身体を もって生きているから

日常は、人生は 
いよいよ 鮮やかに 
感動に満ちた

心豊かなものにも 
なるのかな、と
わたしは 感じます。

そんなことに気づかせてもらった
エピソードを

わたくしごとですが
お話ししますね。

*:..。o○☆*゜..。o○☆*゜¨゜゜゜○☆*゜¨゜゜

昨日の朝、
息子を学校へ送って
自宅の駐車場に着いて 7:55ごろ。

ふと スマホを見ると
不在着信、留守録が2件

あわてて
メッセージを聞くと

義父が危篤とのこと。
(末期の胆管がんで 
8カ月入院していました)

午前中 できれば
早い時間に 病院にきて
ほしいとの連絡が
看護師さんから 入っていました。

義母の耳も
遠くなっているため

病院やもろもろ一切
すべて窓口 兼 
フォロー役となっている
わたしは 

だーっと
義弟、病院の看護婦さん
夫に 電話をし

ささささっと
自分の頭の中を整理し
やるべきことを
瞬時に 判断しました。

さあ、そこからが大変。

自宅では、
アスペと不登校がある
上の中2の娘が

「今日は学校行きたくな~い。。。」と
ソファで 半分寝ていたのですが

病院からの自宅への
電話・留守録で
叩き起こされたらしく

シャキッとおきて

「ママ、、、じーじが」と。

「うん、わかってるから
 だいじょうぶ」

と わたしは

1日病院に缶詰めに
なることを覚悟しました。

ささささ~~っと
最短で 家を出られるように

ネットショップの緊急で
今日1日でやらなくては
ならないことなど

ぜんぶ フセンに書き出し
できるものは 即 対応し

ノートPCをもって
今度は 娘を 中学に車で送り
義父の病院にかけつけました。

実は 昨日は
小4の息子が

社会科見学で 静岡市の県庁へ
(東名で1時間半ぐらい)
出かけたところでした。

義父の枕元にかけつけ
わたしは

「おとうさん、りょうた

 きょうは 社会科見学で
 静岡の県庁に行ったよ。

 夕方帰ってくるからね。

 それまで……」

あとは 言葉になりませんでした。

口数がたいへん少ない 
義父でしたが

それはそれは穏やかで
やさしい ひとでした。

子どもたちが小さい時は
わたしが 行かれないときには
保育園の迎えに快く行ってくれたり

親子ともども
インフルエンザで倒れたときにも

自分も高齢で
うつったら大変なのに
病院に連れて行ってくれたりと

優しく 相手を深く思いやる
義父でした。

4人の孫のなかで

ひとりだけ男の子で いちばん小さい
りょうたを

義父は なんというか
ことさら 可愛がって
くれていました。

りょうたは 自閉症+
知的障害があるのですが

不思議な子で 赤ちゃんのときから
なにか天性の癒しみたいな
パワーがある子なのです。

そのりょうたが
毎回 わたしと 
病院を見舞うごとに

おでこに 手を当てて
じーじに パワーをあげていました。

だから

わたしは なんとなく
義父は

りょうたが帰ってくるまで
待っていてくれる

そう 感じたのです。

いつもは
仏頂面をしていて
義父の病院に来ても
言葉少ない 夫でしたが

電話すると
会社に着くや すぐ引き返して
10時過ぎ 病院にやってきました。

義母と夫、わたしの3人で
義父を 見ていました。

酸素マスクをつけて
ときどき 大きく呼吸をする
義父は もう意識は
ありませんでしたが
穏やかでした。

まだまだ だいじょうぶ
と 思っていたところ

看護師さんが何度も
行ったりきたりしていましたが

義父と同じく 年配の
大変よく診てくださった
主治医の先生が

枕元で 義父の様子を
ていねいに 見守って
くれていました。

穏やかで 静かなときでした。

そして

わたしたちが
病院に到着してから
1時間もしないうちに

本当に眠るように 
義父は 逝きました。

「おとうさん 8カ月も
 よく がんばったね――」

わたしも 
りょうたと 同じように

見舞うたびに 
おでこに手を当てて
パワーを 送ってあげたように

おとうさんの がんばりを 
ねぎらってあげました。

そのひたいは まだまだ
温かでした。

わたしは 長男の嫁で 
同居はしておらず

もちろん 血は
直接つながっていないのですけど

自分が中心になって
サポートをしてきただけに
涙がとまらず

しんしんと さみしさが
こみあげてきました。

その後は もう1日フル回転で

いろいろな 手配 葬儀の準備など
手配し、電話もろもろ
ぜんぶ やるべきことはやりました。

小さな家族葬で
見送ってあげたいという
義母の希望のもと、

すべてが一番よい形で
ととのえられました。

 

通夜お葬式は
週末となったので

結果的には

明日の午前中 
子どもたちの学習発表会

市内の小中学校 
支援学級 全部集まって

文化会館で 大々的に行われる
発表会には 問題なく 
出られることになりました。

夜、夫が
子どもたち2人を集めて

義父が亡くなったことを
知らせました。

子どもたちにとって
身近な人では
初めての死です。

わたしは りょうたが
「死」というものを
まだ 理解できないかな?
とも 思っていたのです。

なぜなら 以前
発達テスト、IQテストでは 62

現在、幼稚園生ぐらいの 発達度という
ことを 心理士からは言われていたからです。

そして わたしは
自分が子どもの頃

小3で 父が亡くなったとき

わたしは すべて覚えていますが

当時幼稚園に通っていた妹は
「死」というものがまだわからず

人が家にたくさん来てくれて
うれしい、と はしゃいでいたことを
思い出したからです。

でも 義父が亡くなったと
わかった

りょうたの顔からは

笑顔が消えて
言葉がなくなって

下をむいて
かたまってしまいました。

「えーーーーーーーー」

「もう じーじに会えないの……」

「かなしい……」

と しっかりと
「死」というものの意味を
理解していたことが

わたしには 驚きでした。

「うん、じーじは 
 天国に行っちゃったけれど

 でも これからは 身体も自由になったから
 いつでも りょうたの こと 見てくれてるよ

 発表会の劇も
 きっと 見に来てくれるよ

 だから がんばろうね」と。

入院中には 誕生日プレゼントとして
わたしと 子どもたちとつくった 
幼い日の写真と カードを 送ったのですが
大事に嬉しそうに 見てくれていました。

生きていることは
有限

時間には 限りがあるのだと

今朝も 早起きして
朝コンをしていて
感じました。

人のたましいも 可能性も
無限

でも からだをもって
生きている この時間

動ける時間は 有限なんだなと。

だからこそ
このいまここにある

「有限な」 かぎりある時間を

わたしは 大切に生きたい

そんなことを あらためて強く感じました。

あなたも 

あなただけがもつ

有限な
かぎりある 今このときを大切にして

今日も 最高の自分を生きてくださいね(*^_^*)

いつも心から応援していますロケット

鈴木みつこ

*:..。o○☆*゜..。o○☆*゜¨゜゜゜○☆*゜¨゜゜

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