ホリスティックパフォーマンス☆催眠コーチ
ソウルプランリーダーの みつこです(*^_^*)
ブログを読んでいただき
ありがとうございます!
今日は 夫の
胆のうの摘出手術に
立ち合いました。
胆のうの 全摘、、、
うまくいけば 腹腔鏡下のみで
やってみて、無理そうであれば
途中から 開腹手術。
夫は 小3のころに
盲腸が悪化して ひどい腹膜炎を起こし
生死をさまよった 経験があるので
癒着等がひどければ
途中から 開腹手術になるかも
と 最初から 言われていました。
石が3cmぐらいとかなり大きくて、
胆のうを入り口付近を 圧迫しており、
癒着が ひどくて とり除くことが難しい
ミリッツィ症候群に なっている可能性がある
しかも 食道近くには
なにか 不可解なものがある、
先日の内視鏡検査でも
もし 悪いものとわかったら
その場で 取ってしまう
生体検査に出してみると言われ、
100人中 一人ぐらいの割合で
早期がんが 発見されることもあるけれど、
その場合には 再手術の可能性あり
うんぬん、、、
この2週間、
30数枚の 検査や手術の紙面に
署名をしてきたのですが、
いやー
こーゆー可能性もある
あーゆー 可能性もある と
かなり おどかされ? つづけました(苦笑)
だからといって
おどおどビクビクしてたわけではなくて
いい意味で、
なるようにしかならない、と
自分が人間として
できることをすべてやったら
あとは 天に 任せる的な
けっこう 腹が座っている自分がいました。
これまでの 自分の人生を振り返って、
けっこう比較対象の
「参考材料」が 多いというのは
「あー わたしは これと似たようなこと、
すでに 乗り越えてきた」という意味で
精神的に 強くなる部分が
あるのかもしれません。
夫の強い希望で
義両親、私の実家
お見舞いは いっさい
来ないでほしいとのことで
今日の 手術立ち合いも
わたしひとり。
大きな病院ですが、
内視鏡検査・治療処置のときは
ストレッチャーに乗っていったのに
なぜか 今日の本手術のときは
6Fから 3Fの中央手術室には
点滴を押しながら
自分の足で 徒歩で 向かうとのこと。
明治時代のガンコおやじっぽい
ふだんは病院嫌いの
我がダンナでは ありましたが、
今日 看護婦さんたちと ともに
気丈に 自分で
宇宙ステーションへの入り口みたいな
おどろおどろしい 手術室に 入っていく
後ろ姿を見て
ああ 痩せちゃったなー
と 改めて 感じました。
病院というのは
日常を離れて なんとも 生と死を
身近に感じるところでも ありますよね。
そして 手術着1枚になってしまえば
日常の 自分は誰なのかという
対外的なアイデンティティ、
自分は仕事で〇〇をしている、とか
△△を達成している〇〇である とか、
そーゆーものは いっさい消えて
自分が自分で在ることを語るのは
瞳の奥の 目の輝き
凛とした 感謝の声
そうした まる裸の たましい 1つに
なってしまうところが
おもしろいなと感慨深く感じました。
手術は、1時間から3時間かかります、
ご家族のかたは、談話室食堂で
お待ちください
というので
お弁当から、ノートPCから
今日は 1日 ここを陣取って 仕事もする覚悟で
モロモロ もってきたものを
取り出して広げ、
自分のワークスペースをつくり
時計と 廊下を行き来する 看護婦さんを
チラチラと 見ながら、
が~っと 一気に 自分の神経を
仕事に集中してました。
1時間を過ぎました。
まだ 看護婦さんは 呼びに来ません。
むむ、、、開腹手術になったかな???
と ちょっと 心配していると
ほどなくして
6Fの入院病棟の看護婦さんが
病室にあった夫のベットを
エレベーターで 3Fに 運ぶのを
わたしは 見のがしませんでした。
あ、もうすぐ終わるってことかな、
麻酔が覚めるのを 待っているのかな
もう呼ばれるかな、と思っていましたが
2時間を過ぎました。
いっこうに 呼ばれません。
あれれ、やっぱり開腹手術になったかなー
なにか トラブルがあったかなーと
思っていると
やっと 看護婦さんが
鈴木〇〇さんのご家族のかた~
と 呼びに来てくださり
手術直後の先生から
お話があるそうですと
伝えてくださいました。
中央手術室のすぐ横の
家族のための部屋で 待っていると
執刀してくださった
先生が 入ってきました。
手には 青い布で包まれた
なにかを 持っています。
げげっ いきなり 見せるの???
いま 摘出したばかりの
胆のうを 見せてくれるつもりなんだろうか????
わたし 生の臓器って
見たこと ないんだけど
耐えれられるだろうか?
そんな 想いが 浮かびました。
(自分の子宮全摘手術をしたときは あとで写真を見ましたが
もちろん そのものは 見てません。。。)
そう10cmぐらいの
さきほどまで 夫の体の中にあった
胆のうは 手術で 摘出されていました。
先生が、ここが 石ですよと
大きな石が入っているのを指摘しました。
手術は なんとか 腹腔鏡だけで
済んだとのこと 無事 終わりましたよ、
とのことでした。
わたしは お礼を 申し上げて
本人が 石がほしい と言っていたことを
話すと OKが出ました。
夫の 胆のうくんを 見ながら
「ほんとうに 50年間以上も
よくぞ もくもくと 働いてくださいました。
先に 体から取り出されちゃったけれど
先に あなただけ 天国へ行くけれど
本当に ごくろうさまでした。
ありがとうございました(合掌)」
そんな 言葉を 心のなかで 胆のうくんにかけました。
身体の臓器って
ふだん 目に見えないけれど
この「私」を 動かしてくれるために
生かしてくれるために
毎日 もくもくと働いてくれている。
愛しいなあ ありがたいなあと
胆のうくんを 見ながら
しみじみ 思いました。
そして すべてが終わり
手術後の処置も 終わると
麻酔から覚めた 夫のベットの脇には
すでに 容器に入った
うずらの卵より ひとまわり大きい
丸くてつるつる
「胆石くん」が 待っていました。
胆石くんには これまで 夫が
長年 抱えてきた 悲しみ いらいら
もどかしさ 怒り そうしたものが
結晶化されているような 気がしました。
そして それを ずーっとずーっと
かかえていたわけですが
今回 体の外に 取り出したことは
深い意味があるのではないかと
感じました。
手術前には 冗談とつかない
真顔で 夫は
手術したら オレ、
ガマンとか ネガティブ悲観的な部分
すべての ストッパーが外れて
(胆のうは そうした
ストレスとも大いに関係ある臓器です)
ほんとに 性格変わるかも、、、
いい意味で
と自分で 言ってました。
いいよ いいよ
もう これからの人生は
ガマンしなくていいんだよー
と わたしは 伝え
そんな 話を 夫として
クォリティタイム
(上質な時間、会話)を持ちました。
当たり前だと思っていること
しかし それは
当たり前ではないんです。
むかし 8歳で父が亡くなったころ、
わたしは 母に こんなことを言いました。
人って いなくなって 初めて
本当の ありがたみが わかるんだね、と。
するとそのとき 母は
「それじゃあ 遅すぎる」と
半ば 怒ったように 言いました。
病(やまい)とは
別に それを すすんで 求める必要はないけれど
本当に大切なことを気づかせてくれる
大切なメッセージが あふれているなと。
人は なんでも 当たり前と思う
サイクルに入ってしまうと
その真価を忘れて
見失う場面がでてきます。
でも いつだって
感謝のタネを数える
心の琴線は 鋭敏で在りたいな
と感じました。
感謝のタネは
奇跡のタネは
いつだって 日常に 落ちている
心ふるえるような感動も
今 ここ 体がある あいだに
感じられる 喜びも 痛みも
そして 人は
一回だけ 死ぬ
どうしようもないときは
その1回だけ
だから わたしが
なにがあっても だいじょうぶ――
思考ではない ハートからの声が
聴こえた気がしました。
自閉症のある 息子を預けていた
放課後等デイサポートの先生に
手術が無事終わり
少し早めに お迎えに行くことを伝えると
先生が 息子にも 伝えてくださったそうです。
先生から、メールが入っていました。
りょうたさんに
パパの手術 無事終わって
パパは 寝てるけど
大丈夫だってとつたえたら
すっごくいい笑顔で
笑ってくれました
りょうたさんは りょうたさんなりに
心配していたんだと思うと、ちょっと
せつなくなってしまいました
よかったです(^^)
そして わたしは
また 1つ 終わったと
ほっとする心地で 家に帰り
長い1日を 終えたのでした☆彡
明日から11月
また 心あらたに
ワクワク「いまここ」を
楽しみ 慈しみ 愛でながら
がんばろーと
思いながら……☆
みつこ
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カテゴリ: 鈴木みつこ とは?