「人として」やるべきだと感じたことは。戦友でもある先生の言葉に涙

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今日は

「人として」
 やるべきだと感じたことは。
 戦友でもある先生の言葉に涙

について シェアさせてください。


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今日は 春休み
息子の久しぶりの登校日、
離任式がありました。


春休みに入ってすぐに
学校の児童会関係の先生から
お電話がありました。


息子が1年間お世話になった
特別支援学級の担任のS先生が
他の小学校に異動になるので


離任式のときに
息子に花束を渡す役を
してほしいとのこと。


今度、小6になる息子は
クラスでも リーダー役を
よくしていましたので
もちろんOKしました。


また 男の先生が
いなくなっちゃうねー
寂しくなるね、、、
ふたりで と話していました。


息子は、校区外の
車で 20分ぐらい

自閉症、発達障害など 
情緒の支援学級のある
大きな小学校に通っています。


わたしは午前中 所要があり
8:00に 送っていって

息子たちが下校する
9:30にまた
学校に戻ってくるのは
非常に 難しいと思われました。


それで担任の先生には 
お礼の手紙を 息子と二人で書いて
今朝 持たせました。


しかし、
学校に到着すると
お友達のお母さんが

「ねー 知っている?
 A先生も いなくなっちゃうし
 E先生も退職なんだって、、、」

と ネット上で検索、知ることのできた
県の小中学校教職員の異動 欄には
掲載されていなかった

娘の代からお世話になった
支援員の先生方との お別れを知りました。

もちろん お手紙は書いていません。



ああああああああ

これだけ
お世話になった先生方との
お別れに


このまま はい、さよなら、は
人として、ないだろう、、、と


即、アタマの中で
今日の予定を全とっかえする
算段をし始めました。


自宅にいったん戻ると
バッグにカードや封筒
シールやペン
ちょこっとプレゼントを詰めて

車中で仕事もできるよう
ノートパソコンをもって

5分後にはまた猛ダッシュで
家を出て学校に戻りました。



8:50には
再び学校にもどり
駐車場の車の中でお仕事です。


異動になる
娘の代から5年近く
お世話になっている
息子を担当してくださっていた
小学校の先生 おふたりと


これまた異動になる
娘が もうこれ以上ないくらい
お世話になった 

隣接する中学の支援級担当の
先生 お二人に宛てて

カードをお一人お一人
心こめて書き上げました。


3月は別れ、
旅立ちの季節でもありますが


お世話になった先生が
退職されたり
別の学校に移られるということは

子どもにとっても
親にとっても
とてもさみしく


ある意味 大打撃でもあります。

不登校や発達障害などの
課題を抱える子どもをもつ親だったら
なおさらのことでしょう。


小・中学校は
隣り合わせでしたので

最初は 息子の小学校へ
その後 裏庭を抜けて娘の中学へ
ひとりで向かいました。



本当は中学の方は
離任式の今日ではなくて

あらためて別の日にご挨拶に
行こうかと思っていたのです。


4月に入ってから
高校への引継ぎ等で
担任の先生とお電話で
お話することにもなっていました。


が、

やっぱり今日だ
ひとつの節目けじめ

別に今日でなくても
誰にも 責められる
わけでは ないけれど

人としてやるべき

そう 魂の奥で感じることは
今やろう
そんなふうに 感じたんです。


息子が
体育館での離任式のあと
教室で 先生とお別れ会をするとのことで
お迎えが 15分のびました。


たくさんのお母さんたちが
お別れに 集まっていました。

隣の中学からは
生徒たちが ぞくぞく
下校し始めているのが見えたので

じゃあ そのあいだに
先に 中学へご挨拶に
行ってこようかと思って
裏庭を抜けていきました。


が、
支援級は、まだ中学でも
お別れ会の まっただ中で

玄関の先にはたくさん お母さんたちが
M先生を待っていました。


娘はぜんぜん
学校に通えませんでしたので


わたしや娘なんかよりも
毎日M先生に会っていた
生徒さんや お母さんたちの方が

ずっとM先生とは
別れは名残惜しいでしょうし
遠慮して


みなさんが 終わってから
あとで 落ち着いてから
ご挨拶しようと


カードとプチプレゼントをもって
いったん その場を去りました。


その後、小学校でも下校し始め
順番を待って
先生方にきちんと最後に
ご挨拶もできました。



親って
最初っから
親じゃないんだよな


子どもの節目 
節目を通して親になっていく


親として、
育ててもらってる


未熟な自分を振り返り
いつも うるうる涙しながら
思うのです。



お世話になった
先生方とのお別れ離任式。

人生の中の1ページ
1日に過ぎないわけではありますが


その時だからこそ
感じられるもの


その時だから
伝えられる お礼の言葉
感謝の言葉


やっぱり それを
きちんと お伝えして
次のステージに進む


けじめ
節目って

やっぱり大事だなと
改めて感じました。



最後にもどった中学では

中庭のテニスコートから
ひょいと のぞいた職員室から

娘の担任だったM先生が
外に出てきてくださいました。


発達障害、不登校問題があった
娘を3年間担任してくださっていた
M先生は

フリースクールの先生とも
連携をとってくださり


高校進学にも最後まで
様々な手続きから
支援の引継ぎもろもろ
深くご配慮くださいました。


娘のどん底の状態から
知っているM先生は


本当に戦友のような方でした。


娘は最後まで
学校が嫌いでしたが


中学という枠組みの中で
何人もの生徒をいっぺんに
見ないといけない
主任でもあった M先生が


娘のことを
本当に よく見てくださっていたことが
あらためて 今日 わかりました。


M先生のお話の中に
こんなことがありました。



卒業間近になって
学校に置いてあった
娘の荷物などを整理して
くださっているときに


娘が書いたメモ、ノートを
見つけたのだそうです。


それは

あれだけ 集団生活になじめず
葛藤がひどかった娘でしたが


そんな中でも
なんとか 集団の中に入っていこうと
自分に鞭打ち


うまくいかなければ 猛烈に反省し
自分を叱咤し、歩みつづけようとしていた
メモ書きが見つかったと。



それを見つけたM先生は

娘の辛さをぜんぜん わかって
あげられなかったなと
深く反省したと
おっしゃっていました。


そして 修学旅行のときに
娘に話したことがあったと。


それを もう一度
娘に伝えてほしいと。


中学3年間というのは
体と心がアンバランスで

大人の階段をのぼりながらも
いちばん 悶々としたり
思春期特有の 非常にに
不安定な 時期だと。


おそらく
発達障害などある子たちにとっては
その傾向がいっそう顕著になるかも
しれませんよね。


でも
そこを抜けたら
また 違う未来がある
明るい未来がある


だから それを信じて
これからも
自分の個性を最大限に輝かしながら
歩み続けてほしいと――


その後 自宅に戻り
娘に M先生からの言葉を
伝えた時は


なぜだかわかりませんが
ボロボロ涙が 止まりませんでした。


M先生の言葉は

わたしにとっては
有難い戦友の方からの
言葉でもありました。


今日の予定 全とっかえしても

やはり今日 お世話になった
先生に 最後のご挨拶ができて
本当によかったと感じました。



今日というお別れの式
お別れの日 離任式

感謝をこめて節目にきちんと
ご挨拶できるのは

この1日しかなかったんだよなと
感じました。


「人として」やるべきだと感じたことは。
戦友でもある先生の言葉に涙。


でした。


あなたは いかがですか?
3月の別れの季節、どんなふうに
過ごされていますか?






いつも心から 応援していますロケット


鈴木みつこ


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