今日は
「怒り」は感じてもいい
許せない自分をゆるす
というお話をします。
あなたは
誰か「許せない」人って
いますか?
娘がこんなことを言った、
夫が、
母が、
父が、
友達が、
上司が、
近所の人が
ああ言った、
こう言った、
あの言動は
絶対
許せない!!
と思ってしまうようなことです。
あるいは
かなり前、こどもの頃のことだけど
いま思い出すと
怒りが湧いてくる
悶々とした思いになる
みたいなこと。
わたしですか?
わたしにも
ときどきそんなことが
起きます。
昨日も
娘の言動で
これは、ちょっと
ないな、、、
許せない、
というよりも
もう親子の縁を切りたい、、、
わたしにはムリだ
と思うようなことがありました。
わたしの高校生の娘は
発達障害、
アスペルガーで
強い情緒障害、
他の二次障害もありますので、
ある意味、
わたしにとっての
フツウ、あたりまえ、
大前提が
ひっくり返るような
言動をよく起こします。
それは
「発達障害って、言っても
個性だから、
その子の良いところを
伸ばしてあげればいいじゃないですか~」
といった
レベルを越えて
そして
そんなことは
もうとうにわかった上で、
同じ立場を経験してみなければ
決してわからないだろうと思うようなこと、
親や療育関連の先生は
現場で
四苦八苦
最善の対応
なすべきことを
なしていく
みたいな感じのことが
日常で勃発します。
だからといって
わたしはそれに悲壮感を
もっているわけでもないのです。
ただ
ときどき思うんですよ。
神様はわたしに
すっごく難しい
課題を出されたなあ
と。
あるいは
人生は生まれる前に
自分である程度、
選んできたとはいえ
ずいぶん難しい
ストーリー、宿題を選んできたなあと
苦笑いしてしまうことも。
でも、
そんなとき、
こんなふうにして
アタマを、思考や感情を
切り替えて
ふたたび
前を向くのです。
まず
「怒ってもいい」
「怒りを感じてもいいんだよ」と。
怒りって
なにか
すごく悪いもののような
感じがしませんか?
昔のわたしは
「こんなふうに感じてはいけない」とか
怒りがあっても
それをなんとか
思考でねじ伏せる
ようなことをやっていました。
あるいは
まるで
なかったかのように
感じなかったかのように、
それを全部
自分の胸に
飲み込んでしまうようなこと、
ですね。
でも、それでは
自分が壊れてしまいます。
わたし自身、そのようにして
メンタルを壊しかけたこともあります。
でも
わたしは
「辛くても頑張る」人生から
「自分自身がイキイキと輝く」世界に
移行すると
決めたのです。
そうした
自分の心が壊れてしまう状態を
脱するための1つの方法は
まず
「怒ってもいいんだ」
と自分にゆるすこと。
怒りが湧いてきてもいいんだ、
怒りは
自分の心を守るための
正当な反応だと
認めてあげることです。
そして
今はどうしても
許せないその人を
許せない!と思う
自分自身を
まず
ゆるす
ことです。
相手をゆるす
んじゃなくて
許せない自分を
ゆるす、
ということです。
不甲斐ない自分でも
いいんです。
聖人君子みたいに
できてない、自分でもいいんです。
嫌いな人
どうしても嫌な人を
別に
「ムリに」
許さなくてもいいんですよ。
そして「怒り」は
その相手に
直に言うこともできるけれど、
それ以外にも
いろんな方法で
発散できる
表現できる
昇華できることも
知っていおいてください。
何よりも、時間の経過で
人の感情は変わる
ということも。
感情は
そこにとらわれない限り
何度も何度も
反芻しない限り
いいも悪いもなく
ただ
通り過ぎていきます。
そしてこんなふうにも
言えます。
話すことは、
放すこと。
誰か信頼できる人、
わかってくれる人に
話す、ということは
それを早く手放して
次のステージに行けます。
「こんなことに
とらわれる自分は
いけない」
「こんなささいなことに
とらわれる自分は
なんて情けないんだろう」
そんなふうに
感じなくていいんです。
そうか、
そういうことに
とらわれていたなと
ちょっと落ち着いたら
自分自身を俯瞰してみてください。
また
こんな視点もあります。
許すことは
身体的に
緩めることにも
大きくつながっている。
怒りや感情の波に
飲まれそうなとき
早く自分の軸に
戻ってくるためには
呼吸に意識を向けるといいです。
呼吸をととのえることで
少しずつでも
自分を律することが
できるようになって
いくからです。
自律神経とは
自(おの)ずと
律されている
神の経路
と書きますよね。
そうした
とても重要な働きを
しているわけです。
武道の達人は
自分の呼吸を読ませないことが
できるそうです。
相手に
自分がいま
息を吐いているのか
吸っているのか
わからないようにする
なぜなら
勝負はすべて
呼吸で決まるから、だそうです。
武道家でも
営業マンでも
呼吸の長い人が必ず勝つ
というお話を聞きました。
そのくらい
呼吸というのは
自分を律する大切な働きを
している。
息を吸って
吐くときに
ただただ
余分な力を
ハーッと解き放つ
余分な力が抜けると
体もゆるんできますよね。
体と心はリンクしています。
「余分な力」とは、
自分とは、こういうものだという固定観念、
また、こうでなければいけないと
自身を縛っていた価値観でもあります。
「余分な自我」が解放されて、
ゆるんだときに
人は本当の自分を思い出し
最高の能力を発揮します。
怒りは
感じてもいいんですよ。
でも
そのままじゃ
辛いですよね。
感じるべきものを
感じたら
手放す。
呼吸に意識を向けて
ただただ
長く呼吸することに意識を向けて
自(おの)ずと
律されている
神の経路を
ととのえる、ひらく
自分をゆるめる
すると
「自分が」「自分が」と
自分を守るために
周囲にギッチリ課していた枠が
パカーンと外れて
かつて
生まれる前に観てきた
感じていた
壮大な集合意識のようなものを
思い出して
「あ、もうそれは、どうでもいいわ」
という心地になります。
以上、今日は
「怒り」は感じてもいい
許せない自分をゆるす
ゆるすためには まず体を緩める
呼吸に意識を向けるといい
自(おの)ずと律されている
神の経路をととのえる、ひらく
というお話をしました。
怒りを感じたとき、
悶々としたとき、
感情に振り回されそうになった時
ぜひ思い出して、
やってみてくださいね。
応援しています!(*^_^*)
天職実現マスターマインドコーチ
鈴木みつこ
カテゴリ: 望ましい思考習慣をインストール , 優しくていい人をやめる