『帰ってきたミボウジン』

ban1 天職実現マスターマインドコーチ育成講座

自分のスイッチをいれて
天命に生きる 自分のしくみを創る

ライフコーチの 鈴木みつこです(*^_^*)。

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コーチングって 何?
それ 怪しくない???
と思った あなたに

できたら わたしのことを
もう 少し 知っていただけたら
嬉しいな と思い

なぜ わたしが 
見えないけど 大切なこと――

心や 魂のこと

マインドの使い方
コーチング

などに 興味を持つようになったのか

そのバックグラウンドについて 
すこし お話しさせてください(^^)

 

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※この記事は、2010年2月1日の

The Seed of Truth 魂の琴線に触れる言葉たち
ブログの 再アップ記事です。

あなたの気づきのきっかけとなるように、
過去記事を一記事ずつ紹介していきますね。

32歳、日本に帰ってきたころに
書いたショートストーリー風 日記です。

*   *   *   *   *

『帰ってきたミボウジン』

                             
1999年○月△日(金)

人は わたしののことを「ミボウジン」と呼ぶ。

ほかに「ゴケさん」という言葉もあるらしいが、
自称ツヤめいた、まだ若き可憐なミボウジンは、

「後家さん」という言葉にこもった響きがキライで、
そう呼ばれても返事をしないことに決めている。

最近アメリカから
日本の実家にもどってきた
ミボウジンの朝の日課は、
仏壇にまいることから始まる。

仏壇といっても実家は神道である。

「ブツ」と「シントウ」の
教義における違いはなんなんだ?と、
コムズカシイことを言われても、

アタシは クリスチャン寄りだから
わかんないの……と

卑怯にも逃げるミボウジンだったが、

今日は 仏間の一角にある
亡き夫・フレちゃん
特設コーナーの写真を前に、

少しだけ神妙に座り
彼のことを思い起こしていた。

*    *    *    *    *

フレちゃんが 亡くなった知らせを
日本で受けた 五月のとある日、

モロモロの理由から
ミボウジンは すぐさま渡米、
駈けつけることが 叶わなかった。

その日、日本にいて
フレちゃんの 霊を弔うために、

さて海にいこうか
山に行こうかと迷ったあげく、

結局、富士山麓の
古い神社に まいることにした。

海に行くと、

そうでなくてもショックで
フヌケ状態になっている自分の中から、

残っている「気」
みたいなものまで、

全部外に流れ出ていって
しまいそうな気がしたから、

ミボウジンは 山に
パワーをもらいに行くことに決めたのだ。

木々が鬱蒼と茂る
深閑とした山の中、

樹齢 五百有余年のご神木が
境内には どかんとひかえていた。

ヒトのちっぽけな
命の歴史は、

悠久な大自然、
無言の重みの前に
ただうなだれる。

深く息を吸い込むと、

冷たく厳かな山の霊気が
胸の底に流れ込んできた。

ご神木を見上げ
目を閉じる。

ヒトは何をもって

大切な人が 
この世から「消えた」ことを
受け止めるのだろう。

長い長い闘病の末、

みずから旅立って
逝くことを選んだ

フレちゃんの頑張りを
褒めたたえた。

もう絶対会えない、
いない、地球上に存在しない、

声を聞くことはできないのだ……と、

「わざわざ」自分に
追い討ちをかけるから、

泣けてしょうがない
ような気もする。

いっそのこと、
これ以上 自分の心が
壊れないために、

「フレちゃんは
 地球上のどこかで 今でも生きている」

と思いこもうかな、とも思った。

「死」に対する定義、考察は
ヒト様々なのだけれど、

世間一般で言う
「死んだ」という意味を、
キチッと真正面から受け止めないと

次のステップへ移ることができない、

まだ若いのに……
逃避なんてしてると一生引きずるから……

だからちゃんと決別すべきだという意見もある。

でも生き残ったのはワタシだ。

一種の心理的サバイバル・テクニックとして、
「逃避だと知りながらも」「ウソだとわかっていても」

自分の心を軽くするように考える、思い込むのって、
そんなにいけないことなんだろうか……とフト考えた。

ミボウジンは、好きキライが激しいので、
寂しいから、とにかくそばにいてほしいから……と

無理矢理オトコのヒトを
確保しておこうとは思わないのだが、

その反面、単純で惚れっぽい尽くし型、

フラフラしているようで
必ずもどってくる、

自分で迎えにいく忠犬ハチ公型、

どこか抜けててアブなっかしい自分は、
いつか再婚するんだろうなと思っている。

そしてまわりが
現実から逃避するなとか、
なんだかんだ言っても、

自分はフレちゃんのことを
ネガティブな意味で
今後引きずらないことを知っている。

なぜなら、ヒトを大切に思うことと、
引きずることは違うからだ。

1999年○月×日(土)

「あ、いるな……」と思うときがある。

そんなときは
背後が急に重くなるので
すぐわかる。

ひどく怖がりで薄情な
ミボウジンは、そーゆーときには

「いるのは、わかってるから、
出てこなくていいっ」とピシャリ、
亡きダンナ・フレちゃんに言う。

夜中にそんな気配を感じたら、
最悪である。

「絶対に出てくるんじゃない……!!」

「出てきたら、キライになるからねぇぇぇーーーー」などと、

半泣きでトイレに起き、
コソコソと二階から降りていく。
 

昔から誰かの お葬式に出たりすると、
もうその晩は 眠れなかった。

 
ひとり暮らしを していたころには、
家中の電気を つけっぱなしにして、

テレビをつけ、ラジオをつけ、
外界とのつながりを
必死に保とうとしたものだ。

帰国してから 今まで夜は ずっと、
妹と甥っ子たちの部屋に
イソウロウしていた。

しかし自分の部屋が完成した今日からは、
ひとりで寝なくてはいけない。

しくしく。

亡くなってからは、
はじめてのことである。

だいぶ落ち着いた。
とはいえ、なにかのはずみで、

お腹の底のほうからジ~ンと
「会いたいなあ……」と
想いがこみあげてくることがある。

にもかかわらず、
やはり自分のダンナでも
オバケはこわい。

これはたぶんに
八歳のときに亡くなった父のことが
トラウマとなっているのだと思う。

*    *    *    *    *

昨日の晩は、初めてフレちゃんの夢をみた。

病院のようなところへ遺体に会いにいくシーンだ。

夢ではなく、現実、
実際にはどうだったかというと……

フレちゃんは、アメリカ・ニュージャージー州の
プリンストンにある「テンエーカー」という

クリスチャン・サイエンスの
看護施設で亡くなった。

ミボウジンは そのとき日本にいたが、
渡米前に Faxでも火葬許可証に
署名することはできるということだった。

しかし、あえてそうしなかった。

遺体は すぐ火葬にせず
一週間後に渡米するまで、そのままにしてもらい、

ミボウジンが実際に
遺体の安置されていたフューネラル・ホームへ行き、

配偶者として火葬許可証に
その場でサインしてから、彼は火葬にふされた。

結局モロモロの理由から遺体は見なかった。

文化、宗教、風習の違いが大きく、
遺体を見る・見ないでいろいろとモメた。

アメリカ・サイドの親類・友人
(プロテスタント、ユダヤ教など)は、

(妻であったミツコの意見を一番に尊重するが)

「遺体は見ないほうがいい」
「故人もそれをのぞんでいる」と言った。

義姉、義妹、友人にとっては、
「見ない」ことがふつうだった。

日本側、特に母は、
「見るべきだ」
「死に顔を見なかったら死んだことが納得できない。

 妻なのだから。彼もそれを望んでいる。
 ちゃんとお別れしてくるべきだ」

という意見だった。

ミボウジンは見たくなかった。

最終的には、どちらの側、
誰にとっても納得のいく一番いい形となった。

しかしその見る・見ないの決断を下すまで、

「一週間後であっても、火葬される前に、
 死に顔を見たほうがいい」

と母から言われたときに、

トラウマを引きずるミボウジンは
異常なほどの 拒否反応を示し 脅えた。

それが今回 夢にまで、
出てきたのかもしれない。

*    *    *    *    *

そこは中東、エルサレムかどこか――

活気のある街で、中世風の石造りの家が
道の両脇にはたくさん並んでいた。

聞けば、そうした家の数々が
「遺体安置所」だという。

右側にあった一軒に入っていく。

意気地のないミボウジンは
一緒だった母を先に追いやる。

戸をあけると、

そこにはベッドが
八つぐらい並んでいた。

フレちゃんのベッドは
入り口に 一番近いところにあった。

「えらかったね……

 あんなに長いこと……
 最後まで立派だったよ」

と言葉をかけ終わらないうちに、

彼は すうーっと起きあがった。

身体は、ミジンコあるいは
ゾウリムシのように半透明で、

神々(こうごう)しくもあった。

ニコニコ笑い、立っている。

するとまわりの人たちも
同じように続々と復活。

ニ、三、生き返らない死体もあった。

直腸癌で逝った彼は、
もう長いこと寝たきりだったから、

「立っている」姿を見るのは、
ずいぶん久しぶりのことだった。

最初は違和感さえあった。

夢の中で、自分でも
今はじめて気づいたように、

「そう。ほんとうは
 この目線の高さだったんだよ……」

と、しみじみ思った。

四月末に、
もしかしたら最後になるかもしれないと思い、

フレちゃんがいた日本でいう

ホスピスのような「ハイリッジハウス」という
完全看護の施設に一晩、泊まったことがあった。

その晩、当時まだ
ウィドウならぬミボウジンは

同じ棟の同じようなつくりの
別の部屋に泊まったのだが、
そのときベッドの上で思った。

ああ、寝ていて、
こうしてここから見える世界だけが、

いま彼に見える世界のすべてなのだと。

わたしだったら耐えられるだろうか。

介護による燃え尽き、
プレッシャーなどで

自分自身も押しつぶされそうな中、
必死にがんばっているつもりではあったが、

彼のほんとうの辛さ、苛立ちを
半分もわかってあげていなかったな、

悪かったな……と深く反省した。

「立つこと」「座ること」、
身体を縦にすることが、

どれだけ体力を必要とするか、
たいへんなことなのか、
健康な人は忘れてしまう。

ミボウジンの腕ぐらいの太さ、
骨と皮だけになってしまった脚で、

それでもフレちゃんは
歩行器を使って歩こうとした。

車椅子にのり、
自分の手を使って 行動範囲を広げ、
自分の世界を 広げようとしていた。

腫瘍があって痛いのに、
いっしょうけんめい
座る練習もしていた。

お金も なくなり、
仕事も なくなり、
家も なくなり、

自分の 全身全霊を注いで
信じた信仰によって
病が癒えることなく、

妻とは遠く離れて
暮らさねばならなくなり――

「人間的な観点からのみ」言えば、

彼はどんなにかやりきれない気持ちで
いっぱいだったろう、
無念だったろうと今思う。
 

そのフレちゃんが
夢の中では 立っていた。

芯から幸福そうな顔で
にこにこして、

「立ったまま」
抱きしめてくれた。

そうした姿で
かえってきてくれたことは、
感動的ですらあった。

長いこと束縛を受けていた
「身体・容器」から解放されて、

向こうで幸せに
元気にやっていることを
知らせにきてくれたんだなあと思った。

遺体安置所の中では、
ほとんどの人が
復活してしまったから、

ベッドは 全部すみに寄せられ、
日が差してきて、
部屋全体が明るくなった。

フレちゃんは 建物の中を
いろいろ案内してくれたが、

デリのショーケースみたいな前で
二人立ち止まる。

「ねー 今度来るとき、
 なんか食べ物持ってこようか? 

 何がいい? Sushi?」

見舞うたびに、

毎回訊いた同じ質問を
夢の中でもミボウジンはしていた。

すると、
食べ物が たっぷりつまった
ショーケースを指差し、

ここには、なんでもあるから、
何もいらないよ……

と、彼は
あたたかい日だまりのような
笑顔で微笑んだ。

*   *    *    *    *

「そういえば、昨日、
 フレデリックが来ていたね」

と、妹は いきなり言い出すことがある。

昔から 
そうした方面に 敏感な彼女は、

匂いでわかるのだそうだ。
もちろん 見えることもある。

「向こう側」にいる誰かについて、
ほんのわずかでも考えれば、
彼らの意識は
すぐさまここへ飛んでくるという。

逝ったひとについて、
何かを思ったり考えたりすれば、

そのひとのエッセンスは必ず気づき、
ここまでやってきて
深く慰めてくれるという。

  わたしは見えなくてもいいんだ。
  そのあたたかさを「感じる」だけでいい。

「いるのは、わかってるから、出てこなくてもいいよ……」

そんなことをつぶやきながら、

今日も電気をコウコウと
つけっぱなしにして、

テレビも 砂の嵐になってから、
ミボウジンは ベッドのすみで丸くなり
ひとり眠りに落ちていくのだった。
     

by MITSUKO  みつこ  (1999年7月)

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